人生の転機のころ

私が熊本に来てもう15年が過ぎました。
東京人にも熊本人にも「言葉がヘン」と言われることにももうなれました(w。
親父が「コージこれいるんか?」と突然手渡してきたのが昔のスナップ写真のミニアルバム。なんで親父が持ってるのかはわかりませんが、私のとこに戻ってきました。
阪神の震災直後にボランティアで行っていたとこのテントの写真があるのでちょうど平成7年ごろのようてす。



リンクページにも掲載しているなさっちがこのテントの団体の代表でした。
通称「えべっさん」の前の歩道です。この奥のほうで高速がなぎ倒されてました。
最初に到着した5日目はまだ電気だけが通ってる状態で「帰る家がない」という人たちとも会話したりしてました。
写真は2月21日になっているのである程度落ち着いてきた頃のようです。
平成4年に熊本に来て親父と不動産管理の会社を興しました。ただ実際にはすぐに関東へと戻り神奈川の某映画会社の跡地に建った商業施設の施工監理(親父担当)や、官公庁に出入りしていた会社での現場管理を請け負ったり(私担当)していました。
親父が監理していた商業施設は実は完成前に元請が破綻状態となった(でも最終的に完成はした)ためウチの会社は手を引いて親父は熊本へと戻り隠居。時代背景もあり収入が半減どころかジリ貧になるのが見えてきたため私も熊本に帰り不動産事業からは撤退しました。
当時、私はペットフードやグッズの通販と、ショードッグの販売・仲介、ペット関連サービスなどをしていました。今では自分でも想像もつきませんが、当時の私はアイデアがどんどんと湧いてきていろんなことをしてました。
「これからはペットサービスだ」と読んだ私は他にもいろいろなアイデアを具現化しました。ペットオーナー向け傷害保険(現在も好評販売中=熊本発なのよん)。ペット問屋情報の仲介などいろいろ・・・。
ペットショップ、ペットホテル、動物病院とエアポートパーキングを合体させた「ペット村」を第一空港線に建てることになった時、RKKラジオから取材がありOAされました。この時はこのラジオ局を応援することになるなんて思ってもいませんでしたが(w。結局建物をオーダーしてお金を払ったところである理由で頓挫し辞めました。近年になってそこに某大型ペットショップが建ちましたけど。
ちなみにその支払ったお金は数年後、阿蘇の鉄骨ガレージ代と化けました(w。
そんな数ある中のひとつに、日本で最初の「ペットタクシー」の営業ナンバーを1ヶ月間陸事に通って取りました。なんせ日本で最初で前例も無いということでなかなか大変な作業でしたが、実質的にかかったお金は車両代とあわせても30万も行ってません(認可手続きは7万円程度。※現在では基本的に中古車では営業許可はおりません。
そして車がこれ。


内装にはかなり手をかけてましたが写真を撮り忘れています。モッタイナイ。ただRKKテレビの番組で1日密着取材を受けたので映像はどこかにあるかもね。

当時はほんと今とは違った生活で車も4台保有できてました。セフィーロ、Mini、ファミリアのカブリオレ、そしてミラバン。
バブルに散った某農家の長男のように昔の華やかだった時代にすがる気はありませんが、やはり“いい時代”でした。ガソリンも100円台とかだったもんねぇ。

今はPCが机代わりですが当時の机の写真も出てきました。この天板だけまだあります(w。

PCも、DOSのダイナブックとCanBeってのをメインで使ってました。OSはWin3.1ですね。CPUが直付でしたが上から被せるタイプのアクセラレータを積んでましたなぁ(懐。




もう今は骨となってしました通称「純子さん」こと愛犬「純」。
とても不思議な感じのする子でした。
今は玄関の飾り棚で親父と一緒に墓に入るのを待ってます(親父の希望で。

Verified by MonsterInsights