母が他界して4日目。

いろいろと昔のことを思い出しています。

今の気持ちとしては、不思議と寂しさや混乱というよりも、「25年の苦しみから解放され楽になれてよかったね」という気持ちの方が大きいような気がしてます…。それは闘病中の母の顔と棺の中の母の顔の違いが他人のように違い穏かだったからだと思うんですね。

母との思い出の地に想いを巡らしてました。


子供の頃、学校に行こうとしない私(理由は過去に書きました)を父や母は外に連れ出してくれてました。

小1の頃、よく行ったのが、隣の駅となる所沢。

西口を出て左側にはバス乗り場と転回所とプレハブみたいな事務所、道路を挟んで2階建てのパチンコ屋、駅を出て右側には西友と交番、交番の左側にはプロペ通り(日本の飛行機発祥の地ということでプロペラから取ったらしい)。当時としては華やかな所でかなり初期の頃にマックもできてました。

そんな思い出のある街をネットで検索しておりましたら、なんとwikipediaに「所沢西友はビル老巧化のため2010年で閉店」と出ているじゃありませんかっ!!

母と一緒の時に必ず行ってたのが、最上階から駅を見下ろせるレストラン。カウンター5席程度とボックスシートが2~3個あるだけの今考えると狭すぎるレストランでしたが、ミートソースとクリームソーダはベストな組み合わせでした。食事を作ってもらってる間にここの窓から逆座りして駅を眺めるのが好きだったなぁ。

やはり東京に帰りたいです。思い出の場所へ…。もちろん小旅行としてになりますが。


と、望郷への想いが高まっている今日だったのですが、やっぱり今日もムカツキました。

今日の仏壇屋は、連日来てるやつが花束を持ってきた。それと1件電話が来た。そしてまた夜やってきたのが某宗教団体の方たち。

この方たちには「夜は年寄りが寝てるから遠慮してください」と何回言っても「昼間私たちは仕事してるんで」と夜に来る。そのたびに親父は起され私は仕事を中断して話をするのだが、毎回この繰り返し…。

今回はさすがに仕事をしていませんでしたが、やはり親父は寝ている時間であり「忌中」の張り紙を玄関のど真ん中張っているのにも関わらず派手なジャンバーのまま来訪し、線香を上げるわけでもなく、お悔やみの言葉を言うでもなく、機関紙を渡して会話をしようとする。今回ばかりは「会話できる心境ではありませんのでお引取りください」とお帰り願いました。

私はヘラヘラしてるからか、なにかといろいろな商売や宗教に誘われることがあります。もちろんそれら人様の熱心な想いはまったく否定しませんし、熱中されることがあるのは素晴らしいことです。ただ私ら家族の生活を無視したこのような活動はどうなんでしょうかね。


ってなんか毎日怒ってるなぁ(汗。

書いた時点で既に気持ちはおさまってます。はい。

喜怒哀楽ってのは自分を意識させるためにすべて必要なもんなんだなと改めて実感していますわよ。
【追記2009.02.02】現在wikipediaを見ると「西友所沢駅前店の閉店」の文言が削除されてます!!ヤッター!?