理想と現実の狭間にゃご

今日は佐賀に行ってきた。
その帰り。佐賀空港の横にある空港公園で、友人が一時的に見えなくなったと思ったら、猫を見つけて遊んでたそうで、さっそく私も行ってみると小さいきじ猫がいた。
そしてちょっと遠巻きにこちらを見て鳴く半年くらいの猫。これはきじと茶とらが混ざった子。さらに離れたところにも同様な毛色で三毛っぽい猫が、目を合わせずに、でも警戒しながら近くを直線状に移動する。まさに警戒モードだった。
一番小さいきじ猫は、まったく無警戒で、こちらを見てずっとないていた。チュチュチュっと口を鳴らすと駆け寄ってきた。なでてやってびっくりした。
毛色もよくツンツンしているのだが、肉がない。背骨を覆っているはずの筋肉が痩せ細ってほぼなくなっていて、背骨のとんがりを指で確認できるほどだ。数週間まともに食べてないのかもしれない。
座って足の上に乗せたり、横で触ってやったりすると、この身体とは不釣り合いなほどに愛情表現をしてくれる。無垢なこの子、ものすごくかわいかった。現場を去る時は、後ろを見ずに一気に車まで早足で戻った。見たら絶対連れて帰ってしまう自信があったからだ。

何年か前のある日のことを思い出した。
そのエントリー「ねこのはなし」はこちら
私ら人間には感情という神様が与えたもうたものがある。だから生まれ落とされた命を尊重し、ルールに従い血筋に関係なく育むのである。だから助けたいという気持ちが当然芽生える。不幸な命がもう生まれないように餌を与えたらいけないという意見もごもっともだが…。目の前でやせこけても愛想を振りまく子を置いてその場を去るつらさは胸を引き裂かれる思いであった。
空港公園に残された子猫たち。一番小さい子はあの体でちゃんと今夜温かくして眠れるのだろうか。いまからどんどん気温が下がる。家に連れてきて里親を探すという選択肢もあるが一匹だけ連れてくるのもどうかと思うし、家にはおかま猫たちがいるし…。今夜は鼻炎薬の力を借りて眠ろうと思う。

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