犬と猫の殺処分数1日850匹

少ないと思いますか?
それとも多いと思いますか?
私が起業した頃。平成4年のことだ。
バブル崩壊と言いつつもまだ余力があった世の中で、“なにか金になるものを!”ということで関東で順調にやっていた不動産管理の片手間にペットビジネスに手を出した。


私が最初に目をつけたのが、もっとも必要とされるペットフードの通販。これはペットが生きている限り必要なものだ。嗜好性が高すぎるペディグリーチャム(当時熊本では一社独占でその会社からは妨害を受けたこともある)やビタワンなどの低価格な商品よりも、よりブランド力があり、流通状態も完璧とは言えない、サイエンスダイエットなどを中心とし、一部輸入業者が入れてた穀物を主成分とするものや、人間の食べ物に近い安全性を確保したものを単純に犬の餌としてではなく、家族に食べされるものとして、幼犬には高カロリーのもの、老犬には繊維質が少ないものなど目的を持った商品構成とすることで全国にお客様ができた。
そして生体は、ショーブリード(犬の場合ペット用の低品質なブリーダーとショーに出すことを目的としたブリードの2種類存在した)のショードッグとしては価値の無いもの(多産なのでめぼしい数匹を残しあとは無償で譲渡されるのが通例だった)の流通させることで順調に商売をしていた。
熊本の第一空港線で、ペットホテル&空港パーキング、動物病院、ペットショップ、それぞれをテナントとして入れるペット村構想を立ち上げ、地元の放送局からも1日張り付きの取材を受けたり、当時の住友からペットオーナー向け傷害保険を販売したり、日本で最初のペット専用タクシーとして営業ナンバーを取得するなど順風満帆であった。
平成7年1月17日阪神淡路大震災が発生した。
連日、神戸の悲惨な状態をテレビで見てた。
私にとっては湘南に通ずる心癒されるスポットだったこともあり、いてもたってもいられずに、長期保存ができる食料や下着類(地元企業に相談したがどこも小さい会社には協力してくれなんだ)を買い込み、営業車に詰め込んで、県の許可をとり(熊本県許可43号車)20時間以上かけて現地入りした。
その時に一緒に1ヶ月ほど活動させていただいたのが、車椅子ダンサーであり身障者ノーマライゼーション活動家のなさっちであった。また彼らと行動するうちに神戸市の動物愛護センターで活動していた獣医師を中心とした団体も手伝わせていただいた。
ちなみにRKKラジオはこの時はじめて電話中継という形式で出演しそれから聞くようになった(w。

ここでの経験は一生忘れることはない。
だがここでの経験が私を叩きのめした。
思えば、小さい時、ペットは商材ではなく、友達だった。
6歳の時、私が見つけてしまったがために、幼馴染たちと一緒に泣きながら飼い主を探した猫たち。1匹は我が家で育て11匹もの子供を産んだ。その後も11歳で病院に入るまではずっと何代も飼い続けていた(伝染病みたいな症状で全員死亡)。
二十歳になった時に動物管理事務所で譲り受けた犬の純子さんは18歳で天寿をまっとうした。他にも常に動物がいる家庭だった。
幾度かの救出を体験した後、“小さな命を金稼ぎに使ってはいけない”そう思い、店をたたみ、会社員になり兼業でwebコーディネーターとなり、そのまま現在もwebdirectorをしている。
前フリが長すぎるにもほどがあるが、私が見たい映画がある。
twitterでフォローしていただいてる方から教えてもらった映画だ。
>>映画「犬と猫と人間と」 オフィシャルサイト

現在、熊本DENKIKANにて19日まで上映中とのこと。
>>熊本DENKIKAN by Moviewalkerplus

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