ねこのはなし

あれは約2ヶ月前の小雨が降っていた日のこと。
家の使っていない焼却炉と裏にあるドアが壊れて雨が入り込む物置に子猫たちが放置されていた。雨が大雨に変わる前にと家で保護しました。
子猫の面倒を見るのは30年以上経ったとは言え、10数匹の目の開いていない子猫たちの世話を見ていたこともあり過信があったのと、分からないことはネットで調べればどうにかなると思い面倒を見ることにした。「飼い主を探さないとな」といいつつも家で飼うつもりでクロとミーと名前までつけた子たちだった。
4日目まではこのweb日記に書いたとおり。
それは5日目の出来事だった。
朝目が覚めるとミーが冷たくなっていた。
前の晩ちゃんとゴキュゴキュとミルクを飲み、少ないながらも2匹ともウンチをしていたのにだ。もちろん部屋の温度管理だって寝床のことだって気をつけていたのにだ。
クロも元気がなくなっていて、突然のことで言葉が出なくなった私はメールで家族を呼び、すぐに近所の動物病院へ行った。
「衰弱していますので注射をしておきましょう。帰ったらブドウ糖を与えてみてください」とのことで、帰宅。
季節はずれではあるけど暖房を入れて自分としては万全の体制で様子を見ていた。
ところが2時間程度でクロの息が苦しそうになり、鳴いても声がかすれる様な気がして、慌ててさきほどの病院へ。
「実は・・・」と先生が重い口を開けられました。
先天的なものがあるようでハッキリ言えないと前置きがあり、この子はまだ生まれて間もないので手の施しようがない状態ということでした。あとは成猫用の強心剤を打つしか手立てはないということで選択してくださいと言われ、注射を打ってもらいました。
先生曰く「辛いでしょうが、先天的な異常の場合、この子の生命力としかいいようがなく私も辛いです。病院としては後はどうすることもできません」ということでした。冷たく感じる人もいるんでしょうが、逆に私は先生の悔しいという想いを感じることができた気がしましたので、「家で看取ってやりたいと思います」とどうにか泣きながらも言い、帰宅。
それから3時間ほど嗚咽をあげる私の手の中でクロは旅立ちました。
運命とは言え、目が微かに開きはじめ、しっかりと10日間ほどこの世に生きたこの子たちのことは絶対忘れません。
だけどこれにはまだ話の続きがあるのです。


それから2週間ほど経った頃のことでしょうか。
ずっと見かけることの無かった母猫であろう勝俣猫がまた家にやってきました。後でご近所で聞いた話によるとあちこちの家を渡り歩いていたのはみなさんご存知でしたがここ数日見かけていなかったんだそうです。
誰かが保護していたんだろうかと思ったんですが、やっと出れたのて子猫たちを探していたのかもしれません。
でも、どうもいつもと様子が違い人に寄ってくる。
いつもなら威嚇して逃げるような猫でしたから「勝俣猫」と呼んでいたわけですが、私らの方に寄ってくるんですね。
家族が「ちょっといつもと(違って)おかしいよね」と言いました。
よく見たら明らかに上半身が焼けどしてるような状態になっており、色もおかしく焦げたように毛がまだらになってました。悪戯されたんだろうかという話にはなったんですが皮膚の病気か猫エイズだったのかもしれません。
その翌日のこと。
家のガレージで勝俣猫は眠ったように横になって、死んでおりました。
子猫たちと一緒の場所に猫ミルクとともに埋めて線香をたててやりました。
外飼いをすることがどれほど多くの不幸な子供たちを作っていることなのかということを、みんなとは言いませんが私の周りの人たちだけにでも伝えて行きたいと思いました。
今考えれば、私らが保護してしまったことで親子が離れ離れになってしまったのかもしれないということなど自責の念や後悔が多大にあります。だから2ヶ月間書きませんでした。
“無視してほっとくべきだったのかな”とか考え込んでしまいました。
ただ言い訳がましいですがもしあの時点で保護していなければ目の開いてない子猫たちは大雨の中死んでしまっていたのではという勝手な推測もできるのです。
あれから2ヶ月が経ちましたが、書いておくべきと判断した次第。
結局保護したのはただの自己満足ではないのかとか…。いろんなことを考えて今も涙が止まりません。
書いたら少しは気持ちを整理できるかなと思ったんだけど…。書き始めてからもう2時間くらい経っちゃいました、
40近くなって言う言葉じゃないだろうけど、運命ってなんなんだろう。

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