報道に“悪意”を感じるとき

「野宿女性 市役所に運ばれ死亡」Y!news1月16日2時31分毎日新聞の配信分より

浜松市で昨年11月、空腹のホームレスの女性が市役所に運ばれ、福祉担当職員らが取り囲むなか心肺停止状態となり、翌日死亡した。敷地内の路上で寝かされ、市が与えた非常食も開封できないまま息絶えた。「すべきことはやった」と市は説明する。だが、なぜあと一歩踏み込めなかったのか。女性の死は重い問いを投げかけている。

まず先に書いておくべきこととして、ホームレス支援団体が抗議するのは当然である。これは彼らがすべきことだからだ。ただしそのニュースを見た視聴者への刷り込みは、市への怒りを煽るものであることは明白だ。

記事の論調はこの言葉に集約されている。

「なぜあと一歩踏み込めなかったのか」

市への抗議が殺到しているのはこの記事からも容易に推測できるけど、実際には市の対応の問題ではなく、システムの問題だ。そのあたりを考えてから安易なクレーマーにならないようにしたいもんだに。

報道だけのソースを読むとこんな感じ。

ホームレスを長年していた女性が倒れていて交番からの通報により、救急車が出動した。

バイタルの異常がないことや、本人が病院行きを拒んだことが理由で、社会福祉課のある市役所へと運ばれた。

担当職員は、手間のかかる非常食を裸のまま手渡し、守衛に任せてその場を離れた。

ここへ現れたのがホームレス支援団体の“メンバー”だった。

このメンバーの呼びかけに対して女性は無反応であり、1時間後に急性心不全で死亡した。

炎上ポイントとしては、女性の胸の上に未開封の米袋がただ置かれていたことと、倒れてる女性を職員が「“何もせず”ただ見ていた」、女性には「知的障害があったとの噂があった」ということだ。ただしこれは支援団体による一方的なコメントであることには注意が必要。嘘というわけではなく。

目の前で人が死ぬのがわかってて、わざわざ米袋を乗せる人はいないよね。物凄く悲壮感を誇張されている気がする。

人間、博愛なんてできるもんじゃない。

ただ自分ができることをしてあげるのは当然の行為だが、それに足かせがあればままならないことも多々ある。それは社会生活を通常に営んでいれば誰でも同じ。

抗議やアピールは本当に大事だけど、もしそれを電話やネットだけで済まそうという程度の軽い気持ちならば、その電話代をボランティアダイヤル(Q2とか)などに廻すことの方が大事だと思う。クリックで救える命だってある。

Verified by MonsterInsights