朝6時

下の階の親父から電話で起こされた。

「お袋が死んだ…」


涙を拭う間もなく家を飛び出し、病院でまだ温かい母の顔に触れることができた。

25年。

私の母が入院していた年数だ。

死因は老衰だが、元々の病気の原因は不明。治療法は代謝療法のみ。

月に1度程度「外泊届け」を出して家に連れて帰っていた。

家族が作るカレーをいつも喜んで食べてくれた。

甘いものが大好きだった母でした。

自分で言うのもなんだが、母は若い頃かなりの美人だった。

でもこの病気になり、薬漬けにされてからは、もう笑顔もなく、顔にはクマだらけ、そして言葉もあまり話せなくなっていた。それが普通の顔なんだと錯覚していた長い年月だった。

今日見た母の死に顔は、美しかった。病気の苦しみから解放された顔だった。子供のときに見た、母の凛とした気品のある美しい顔に戻っていた。

逆に言えば病気と闘っている間、よほど苦しかったのだろう。だからあんなに険しい表情だったのだと思う。

今の母には、その苦しかったであろう顔はもうない。

今にも「幸治くんなにしてるのっ!」と笑顔で叱ってくれそうなそんな顔をしている。

病院。

葬儀屋に連絡。

病院で遺体を葬儀社に預けて、斎場へ。

ながながと説明を受け契約。

母の病気が長かったこと、熊本の親戚は誰一人として面会に来たこともなかったこと、母の実家である八幡は、ウチには関係ないけど、婆ちゃんの遺産相続のことでみんなが分裂してしまっていたこと、東京にいる母の友人は私が家を知っているが名前も住所もわからなかったこと。その他もろもろの感情と事情を踏まえ、家族葬にした。仕事と親父の生徒さんたち以外には誰にも声はかけず「家族葬でしますので…」と説明しといた。

一度、家に帰って、母の写真を探した。

ちょうど40年前の東京で新居を買った時の笑顔の写真があったのでそれをピックした。

娘が孫を2人連れて、大変な中かけつけてくれた。こんな家のことでも気にかけてくれていることが本当に嬉しかった。

通夜は、俺、家族、親父、娘、孫2人、そしてなぜか町長もいらしたのでお客様は1人だけで行った。

今、通夜の儀式も終わり、家族と親父が番をしているので、私は一度戻り花を置くという6畳分ほど部屋を片づけて、シャワーを浴びてこれから戻り、一緒に番をします。

明日は葬式。

でもこれも家族だけで行う予定です。

これは、上記に書いたような理由が一番ですが、いつも心は一緒にいてやることができた家族だけで送ってやりたいという気持ちです。

ご理解いただけるとありがたいです。

それでは戻ります。

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