【以後、ネタバレにつき注意!!】

読記でも作ってみるかということで書いて見る。

昨夜は寝る前の45分間があっと言う間に過ぎてしまった。

映画の予告編を先に見てしまったので、先入観があったのがちょっとマイナス。現代模写は昭和末期のようであり、主人公には妻と子供もいる。

さて。

主人公は、平凡でネガティブになっている営業マン。いつも商品を持ち歩くためスーツケースを引きずっている。

うだつの上がらない毎日が嫌でしょうがない主人公「信次」。

丸の内線に乗ってとある場所に足を向けていた。

それが赤坂見附である。

彼は“同窓会”の通知が来ていたことを思い出す。

嫌々ながら、しかしどこかに複雑な思いを胸に参加した、親友と呼べるものがいなかった信次は、なぜか自然とその場所に向かっていた。

成り上がりの父は戦後の中野の元貴族の屋敷に住み、亭主関白などとは明らかに違う男だった。ある日たまたま迎えに出なかった母に対し祖父と一緒に暴力を奮うなど、まさに暴力によって自分たちの世界を形成していたのである。

その傲慢さのせいもあり受験のストレスのさなかにあった兄はいつもの父子喧嘩の後、丸の内線新中野駅でいつもとは違うことをしてしまった。自殺したのだ。

それは25年前の、くしくも今日なのだった。

母の心の痛みもあり、兄の命日をすっかり忘れかけていた(ようとした)信次に兄のことを思い出させたのは、同窓会の後たまたま赤坂見附の丸の内ホームで事故のため電車を待ち続けていた“のっぺい”先生だ。この先生、なぜか異常に信次のことを知っている。

3兄弟の次男だった信次が子供の頃、はじめて自分が住む町に開通したのが東京に2つしかない地下鉄のうちの1つが延伸してきた荻窪線(後に丸の内線)の新中野駅だった。その開通を兄弟3人で見に行った。轟音と共に第3軌条(地下鉄特有の第3の電気供給用レール)の耳をつんざく接触音を響かせながら生温い風が吹いていたのを覚えている。

私にとっては、子供の頃の国鉄武蔵野西線(現JR武蔵野線の一部開業区間)と被る。また地下鉄赤坂見附駅は、その後永田町駅などと連絡通路で繋がれた。現在では都内でも有数の複雑構造の駅となっている。

またここで描かれている世がまさに「オリンピック景気」の年なので、“現代”が1989年であることがわかる。

それ以来地下鉄は彼にとってスタンダードな乗り物だったのだろう。

「銀座線経由でかえります」という信次に、“のっぺい”は不思議なことを言う。

「決して回り道ではない。そう考えてはならないよ。さぁ行きたまえみんなが待っておられるよ」と。

悪酔いした信次は、途中何人もの人たちとすれ違ったりして、長い地下道を抜けとある階段を見つけた。その階段はいつもの階段となにかが違う。タイルの色は暖かく、東京メトロの殺風景なものとは違い色つきタイルも使われていた。

上がってみる。

階段の途中でタイムトリップポイントであることに気がつく。もうこの時にはスーッとあの悪酔いも醒めていた。

階段の上の世界は、まさに1964年の新中野。

1989年の赤坂見附の階段と、1964年の新中野の階段が繋がってた。

外に出てみれば、19インチのテレビが超大型で高級なものとされている時代。今は無いはずの映画館も存在した。自分を見つけた知り合いは、信次の父と自分を勘違いして挨拶してきた。

ふとクリーム色の電話ボックスの赤電話を見つける。

中野にあった自分の家へと電話をかけてみた。

「誰が出るのだろう?」

電話の先は1989年の現代であった。

傲慢だった父に辟易した信次は妻や子供たち、そして母と溝ノ口に住み、弟が父のあとを継ぎ運転手つきの社長となっていた。これから映画館があった場所に迎えに来ると言っているが会うことはできないだろう。

心配した弟は信次の母にも電話していた。

「自殺した兄に連れて行かれたのかも」と一生懸命お経を唱えているところに信次が電話をしたのだった。

ほっとした母親に信次は、落ち着いて現在の状況を説明した。

母親は多少戸惑いながらも、息子のいうことを信じる。

兄が自殺した日が今日であることを思い出す。

時間は1989年では午後11時だが、タイムトリップ先では午後7時。

「自殺する前だっ!!」

母はすがる思いで、息子に助けを請う。

信次もその想いは一緒であった。

ということで熟睡しました。

いや~目覚めがいいわ。