我が西武ライオンズ(球場)

私は東村山で生まれ、23年間暮らしその後熊本にiターンしてきた。
ちょうど10歳の時、狭山湖駅がなくなることを知った。
八国山などをテリトリーとして遊んでいた私は、山の中腹にありユネスコ村の反対側にあった坂の上の駅が壊され、山が崩され、山にポッカリと穴があいたところに球場ができるまでをしっかりと見学した。
西武ライオンズが誕生した。
その時、鉄道と野球がスキだった私は、友だちと共に、ライオンズ友の会に入会。
帽子とバッチがもらえるんだけど、私は頭が大きいので特注だった。
友の会に入会した時、第一試合に抽選で各駅から2名ずつ招待があった。
当たらないだろうと思いつつも応募していた私は見事当選。
友の会に一緒に入った友だちを誘い第一試合に臨んだ。
その日。
秋津駅につくと駅員さんから、ホームの先端にある特別入場口に行くように言われた。
特別のお召し列車が入ってくる。
鉄道クラブを学校に作らせるほどのマニアだった私は卒倒しそうになった。
私たち(正確には池袋から西武球場駅までの各駅にいる人たち)のために電車が走ってきたのである。
場内アナウンスが流れる。
「え~この列車は特別列車です。一般のお客様はお乗りになれません。ご注意ください」当時はまだ駅員さんが喋ってた(^^;
何度か放送は繰り返されていたが、ノボせた私は列車が入ってきて、ドアを手動で開けてもらって乗り込むまで、本当に夢のような、一生忘れられないような体験だった。
公式には第一列車となる、その電車はまだできたばかりの西武球場駅に向かう。終着駅につく頃、左側には昔狭山湖駅に向かっていたハズの線路があったハズの坂が少しだけ見え途切れる。その坂が突然消えるとそこは西武球場駅だった。
はっきり言って試合は覚えてない。
確か近鉄だったような気がするけど、はっきりとした覚えがない。
たったひとつだけ覚えてるのは当時はまだ芝生だった外野席の先頭にいた私たちに、外人選手がキャッチしたボールをなんかニコニコ言いながらくれたこと。なんかおどけた踊りみたいなのをして会話してくれたこと。
ボールは友だちにあげてしまった。
・・・西武ライオンズが身売りするらしい by Y!news
とりあえず所沢に残るのが条件らしいが、価格が250億円弱と高すぎることなどもあり、非常に縛りがきつすぎて難航が予想される。
うれなければそれはそれでまた西武(コクド)が経営を続けるらしいけど、それだけ余力があるならば、夢を奪わないで欲しい。子どもたちの夢とは言わない。私の夢だ。
またあの西武球場に行きたい。思い出の地に・・・

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